もっと詳しく管理人

私のことを知りたいと思ってくれてありがとうございます!

プロフィール

出身・・・・・・千葉出身
千葉が大好きです。一時期、東京の国分寺に住んでいたのですが、おしゃれな人が多いのと、人が多いのがストレスで
約2年間、今の妻と同棲したらすぐに千葉に引っ越しました。

年齢・・・・・・1992年生まれ
25歳を過ぎたあたりから誕生日が嬉しくない!
物心ついた時から初詣では「100歳以上生きたい!」と毎年お願いするほど、長生きに執着しております。
誕生日が来なければ、年を取らないのにと真面目に悩んだ高校生時代が懐かしいです。

趣味・・・・・・テニス、会話、読書
中学時代に卓球部に所属していたのですが、もっと走り回って球を打てる競技がしたいと思い、高校時代から今までずっと
テニスを趣味にしています。
いろんなところでいろんな人とテニスをするのが楽しく、コミュニケーション能力を培うことのできた趣味です。

そして、いろんな人と会話をすることが好きで、ゆとり世代では珍しいといわれる人見知りを全くしないタイプです。
証拠として、いろんなところでテニスをしていますが、20代の人がほとんどいない。。。

読書は社会人3年目から趣味になりました。
学生時代は全くと言っていいほど本を読まず、わからないことは人に聞いて解決していました。

ある本に出会い、実践してお金が増えたことをきっかけに、本のすごさを実感し今では通勤電車の中では必ず本を読んでいます。

家族構成・・・・妻、娘(0歳)
妻とは小学生時代からの幼馴染で、一番最初の彼女が今の妻です。
最近娘が生まれ、毎日「可愛い!!」と叫ぶのが日課になっています!

メカエンジニアを目指したきっかけ

高校時代

高校生時代までは、おじいちゃんおばあちゃんを助ける介護職になりたいと思い、
物理、生物で選択できる科目で、生物を選んでいました。

高校生の時、ほとんど物理学を勉強していなくメカエンジニアのことは考えていませんでした。

そして、勉強が大の苦手で、テストの点数は平均以下でしたが提出物とノートをしっかりとっていたので
何とか進級できるくらいのレベルでした。

なので、大学受験勉強はしたくないと思っていたのですが、親から大学には行っておきなさいと言われたので
実家から一番近い大学を調べていたら、理工学系の大学がありなおかつ自分の高校に推薦枠がありました。

「ここの大学でいいや・・・」

と、最初は軽い気持ちで決めてしまったのですが、大学の事を調べていくうちに、自分が本当にやりたいことが見えてきました。

小学生の時に、ロボットコンテストに参加しその時に夢中でマシンを組み立てていたことを思い出し、

「何か機械に携わることが自分には向いているのかな?」

と、ふと感じたのがメカエンジニアを目指すきっかけになりました。

大学の推薦が決まってからは、一度も勉強したことのない物理学を独学で勉強しました。

まとめると、自分の家の近くに理工学系の大学があったおかげで自分のやりたいことが見つけられた感じです。

人生、何がきっかけになるか本当にわからないものです・・・

大学時代

私の通っていた大学はかなり厳しいところで、しっかり単位を取得しないと1年生から留年させられるというところでした。

「留年なんてしてたまるか!全単位取得してやる!」

と意気込んで勉強していました。

ノート点や提出物での救済処置がほとんどなく、レポートやテストで単位が取れるか取れないかを決められてしまうので、
ただ馬鹿みたいにノートをとって言われたことをやっているだけでは単位は取れませんでした・・・

この状況が私に勉強する工夫を与えてくれ、最も成績が良かったのは大学生の時でした。

様々な授業を受けている中で、ほかの学生とは別格にできることが偶然ありました。

「手書き製図」です。

私の通っていた大学は、CADなどのパソコンで図面を書くのではなく、ドラフターという手書き専用の台の上で図面を書く
授業がありました。

むしろ、CADを使う授業がないという・・・

しかもこれが必修科目だったので逃れることができません。

1、2年生の必修科目だったため、数人はこの授業が嫌で大学を辞めてしまう人がいたくらいです。

そんな中、私は嫌だと思うことが全くなく、夢中で手書きで製図してことを覚えています。

周りからは、

「こいつの写せば単位が取れる!」

なんて噂されるほどでした。

「自分には図面を書く仕事が向いているのかなぁ・・・」

これがメカエンジニアを目指そうと確信した瞬間でもありました。

社会人になって・・・

一社目;M社のエレベーター据付会社

最初に入社した会社はエレベーターの据付会社でした。

簡単に説明すると、エレベーターを建物に組み付けたり、解体する建物のエレベーターを解体したりする仕事です。

約1年半、建築現場で働いていました。

エレベーターを組み立てたり、回収したりする作業はとても好きで、いろんな工具を使うのが楽しかった思い出があります。

しかし、あまりにも劣悪な人間関係がどうしても気になっていました。

体罰は当たり前、先輩のいたずらには笑顔で対応、暴言なんて毎日のように言われていました。

仕事内容には満足しているのに、人間関係が最悪だとどうしても精神的につらくなりました・・・

入社して1年半、現場で仕事を経験し、配属部署が決定したところは、現場ではなく事務職になりました。

私自身、建築現場で働くには少し真面目過ぎるという理由で、ある職人さんが私を事務のほうが向いていると
推薦してくれたようでした。

「生産技術課」という、エレベーター据付を安全にできるよう特殊工具を設計する課でした。

そこではAutoCADを操作し、材料強度計算の知識が必要でした。

不思議なもので、現場で働きたいと思っていたけれど最終的には自分の得意な図面を書く仕事に落ち着きました。

しかし、配属されてからわかったことは、現場で使えないと判断されたり、ケガやうつ病で仕事ができない人間を置いておく
吹き溜まりの部署だと判明しました。

大元は建築会社なので、CADが使えたり強度計算のできる人は片手で数えるほどしかいません。

そんな状態だったので、私はいきなり後輩の強度計算の授業を任されたり、CADの先生などをしていました。

社会人5年目までは、そこらへんにいるサラリーマンと変わらない、平凡な生活を送っていました。

私の言う平凡なサラリーマンとは、通勤の電車ではスマホで動画orゲーム、

本当は定時内で終わる仕事をあえて伸ばし伸ばしにして、残業代を含めた給料を自分の年収と思っていました。

あるYouTuberに出会う前までは…

同じ会社にいることにリスクを感じてしまった

同じ会社に5年もいると、仕事内容がほとんど同じことの繰り返しになっていきます。

何よりも、メカエンジニアとしての技術力向上に限界を感じていました。

一社目の会社は、建築工事会社だったのでメカエンジニアのような設計ができたり、強度計算ができる人がほとんどいません。

ほとんどは、現場で仕事ができない、体を壊したなど、訳アリの人が集まる窓際社員の集まりの部署でした…

そんな部署に入社2年目で配属され、仕事を教えてもらうのではなくむしろ大学で学んだ知識をわかりやすく伝えながら仕事を教える立場でした。

大学の知識を全て使って仕事ができたので、そのへんは恵まれていたと思います。

設計、製図の知識を高め人に教える。そして、その知識で強度計算書や図面、仕様書、説明書を作る。

とてもやりがいのある仕事でした。

しかし、知識を高めるなかで自分の会社の設計方法があまりにも古いことに気が付きました。

主にエレベーター据付を安全に、より効率的にできる治工具開発、設計を行っていたのですが…

毎回、治工具の形状が違うため決まった自動計算ツールがありませんでした。

なので、新しい治工具を開発するたびに1から計算書を作成していました。

そのおかげで、強度計算にはかなりの自身が付き、今では副業で稼げるレベルになりました。

しかし、これからの部署の人材育成を考えると私レベルの人を育て上げるのは効率が悪いように感じました。

工事会社なので、入社してくる人のほとんどは、高卒でなかなか強度計算を覚えようとしてくれる人はいません。

過去に何人か教えたのですが、挫折して会社をやめてしまうこともありました…

勉強したくないから就職することにした人がとても多いのが現実です。

最近の若手は、パソコンに強い人が多く、CADを扱うことに抵抗がそんなにないように感じました。

なので私は3D解析による強度計算の効率化を提案しました。

3Dモデルで作りたいものをパソコン上で表示させ、応力解析することで計算書を書かなくても強度を証明できる方法を提案しました。

計算知識がなくても、CAD操作さえ覚えられれば誰でも強度が証明でき治工具が作れます。

上司に相談した結果…
「その解析結果は本当に信用できるのか?誰がその計算結果が正しいと判断するんだ?」

と、提案した瞬間に却下されました。

この会社に未来は無いと判断しました…

私の配属された部署は人数が少なく、何事も起こさなければ確実に部長にまで昇進できる道筋がありました。

このままだらだら会社に寄生虫のように居座って、家族との時間だけを楽しみに生きるのもいいなぁと考えていました。

そんな中、YouTuberとの出会いで私の考えが決まりました。

イケハヤ大学の動画との出会い

みなさんご存じでしょうか?

脱サラして、田舎で暮らすYouTuberです。

ブログ収入で1000万をたたき出してしまうほどの影響力のある方です。

イケハヤさんの動画で、同じ会社で働き続けるリスクについて話している動画を見てしまいました・・・

その動画内で心に残っている言葉を紹介します。

「同じ会社でだらだら働くことは思考停止していることと同じ」
「転職は一度はするべき」
「変化に強いサラリーマンが生き残る」
「将来、起業を目指す働き方、生き方でないと生き残れない」
「脳に汗をかくまで仕事をしたことがありますか?」

私が言葉にできなかったことを言ってくれている・・・そう強く思いました。

まさに、自分の現状を語ってくれているように感じてしまい、しばらくはイケハヤ大学の動画を見あさっていました。

その影響もありブログを開設するきっかけに、そして転職するきっかけにもなりました。

ABOUT ME
Seisei
家族を優先する働き方、若手エンジニアへのアドバイスをメインにブログを投稿しています! 4人家族、一家の大黒柱です!